細川ガラシャと細川護熙氏の関係(元総理大臣)

細川ガラシャ子孫 細川護熙について

細川ガラシャについて、有名な辞世の句が
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」

細川ガラシャの子孫である元首相「細川護熙」氏。

ガラシャ夫人の夫が細川家の2代目である細川忠興。

そして細川家の18代当主が細川護煕氏であります。

2代目~18代目までの長い時間の経過の中で、代々細川家は当主が代わってきたのですが
側室の子だったり
兄弟になったり・・・などして

実際に、ガラシャ夫人と細川護熙氏は純粋な直系の血縁関係にあるわけではありません。

しかし、正室の子だけで長い年月家督が継がれることは一般的にも少ないですし、細川家の当主ですので子孫で間違いはありません。

 

明智光秀と細川護熙氏の関係

簡単に説明します。

明智光秀の娘の「玉」が、親友の細川藤孝の息子に嫁ぎました。

細川藤孝の息子は「細川忠興」です。

細川忠興と結婚した玉でしたが、父「光秀」の謀反により、一時的に細川家から離縁され、京都の山奥に幽閉されます。

それがとかれて戻ったとき、夫の忠興は側室を作っていました。

いろんな悲劇が重なり玉は細川ガラシャとなりキリスト教の洗礼を受けました。

その細川家の子孫が細川護煕氏なのです。

細川家の特徴として

文武両道

資料や調度品をきれいに保管していた

大名家だったのです。

その資料や調度品が「永青文庫」という細川家の美術館に展示されています。

明智光秀や織田信長からの書簡もありますよ。

理事長を務められている細川護熙氏のお話がこちらです。

 

細川護熙氏の現在の活動

2019年9月、奈良県の薬師寺に数年かけてかかれた自作の障壁画を奉納されました。

 

細川ガラシャからつながる細川家の歴史

熊本城を建てたのが加藤清正ですが
その後から熊本城の城主となったのが
細川ガラシャと忠興の3男である細川忠利です。

時代は流れて、明治時代くらいになると
細川家の当主は東京に拠点をおいてくらしています。
しかし、細川護熙氏が国会議員として出馬した地が
先祖が治めていた「熊本」でした。

 

細川ガラシャと細川佳代子婦人


細川護熙氏の奥さんである佳代子夫人
キリスト系の学校へ通われていたとき
細川ガラシャの演劇企画してされています。

のちのち、自分が細川ガラシャの家に嫁ぐとは思っていなかったでしょうね。

細川ガラシャについての本はいくつかあるのかもしれませんが
私が一番おすすめするのはこの本です。

この本は「三浦綾子」先生が書かれた本なのですが
内容はびっしり書かれているのもかかわらず
読み始めたら止まらないほど引き込まれていきます。

細川ガラシャという人物があまりにもドラマの主人公の要素がありすぎて・・・
美人だし、頭脳淡麗だし、

夫の忠興の勇者ぶり容姿端麗さも魅力的に描かれています。
しかし、忠興のわがままな部分も
ハラハラ・イライラさせられるのです。

下巻もあります。

細川ガラシャの一生は、あまりにもドラマチックなので
私はぜひNHKの大河ドラマになってほしいと思っています。

大河ドラマの「江」や「真田丸」「麒麟がくる」では
細川ガラシャが登場してきますね。

とくに「江」の時の
細川ガラシャ役をしたミムラさんは本当に適役でしたね!
きれいで聡明な女優さんなので。

『細川ガラシャ子孫 細川護熙について』でした。

麒麟がくるで『細川ガラシャ』キャスト女優は誰!?聡明で美しきキリシタン

2020-01-21

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なほこ

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