菊池源吾とは?西郷隆盛のこの名前の由来と子供も『菊』がつく理由
西郷隆盛(西郷吉之助)は、僧・月照と入水自殺をはかり、西郷だけが生き残り、幕府のお尋ね者だった西郷を薩摩藩が奄美大島に島流しにしました。
その時、薩摩藩の首脳たちは、西郷を死んだことにして名前も『菊池源吾』と変えさせました。


子供の名前にも『菊』がついている理由にも関係がありますよ!
菊池源吾とは?名前の由来は
第18回「流人 菊池源吾」本日放送!!
入水自殺から奇跡的に生き返った吉之助は、
名を菊池源吾と変え、奄美大島に流される。
“生きる亡霊”吉之助は、島の娘とぅまと出会い…。BSプレミアム:午後6:00~
総合テレビ:午後8:00~https://t.co/TBNQEecqVC pic.twitter.com/9xaW3G1TaN— 大河ドラマ「西郷どん」 (@nhk_segodon) 2018年5月13日
西郷隆盛の奄美大島での名前『菊池源吾』は、西郷の家がもともと熊本県菊池市で活躍した豪族『菊池家』にゆかりのある人間だからだと言われます。
『吾が源は菊池にあり』
(わがみなもとはきくちにあり)
という意味をもじって菊池源吾という名前になったとのこと。
熊本県菊池市の西郷ゆかりの地とは
西郷家は菊池氏初代則隆の子である政隆が、七城町西郷地区に居を構え、西郷太郎と称したことから始まる。
西郷家26代の昌隆(九兵衛)が、元禄時代に鹿児島の島津氏に仕え、鹿児島に居住。
この子孫が西郷隆盛となり、初代西郷家から32代目にあたる。
熊本県菊池市の西郷地区の場所はこちらです。
ここにある立て看板に、西郷隆盛と西郷地区の由来が説明されています。

菊池源吾と愛加那の子供には『菊』がつく
奄美大島で『菊池源吾』として生き、愛する妻『愛加那』と幸せな結婚生活を送っていた西郷吉之助は、本気で奄美大島で一生を『菊池源吾』として生きようと思っていたんだと思います。
愛加那との子供が2人誕生しました。
長男:菊次郎
長女:菊草(菊子)
子供は二人共、自分と同じ『菊』をつけたのです。