愛加那の子孫(子供)は?その後の生涯はどうなったのか

愛加那の子孫(子供)は?その後の生涯はどうなったのか

西郷どん19話は『愛加那』でした。

愛加那は奄美大島に住む女性で、西郷吉之助の2番目の妻であります。

吉之助は愛加那に傷ついた心を救われ、結婚後もとても愛したといいます。

いずれ薩摩に帰るとわかっていながら結婚した『愛加那』

その生涯や子孫をまとめています。

 

 

西郷隆盛の2人目の嫁『愛加那』とは?画像


奄美大島に住んでいる島嫁

島津斉彬が亡くなり、絶望する西郷隆盛を救った女性です。

生命力にあふれ、誰にも媚びない奄美大島の娘でした。

 

・天保8年(1837)、龍一族の娘として生まれた。
・少女期から芭蕉布を織り始め、やがて村の女たちに教えるほどの腕前になる。
・気丈で働きものだった。
・安政6年(1859)、鹿児島から遠島になった西郷吉之助と結婚し、この家で暮らした。
・菊次郎と菊草の二児に恵まれたが、三年後、吉之助は島を去り、やがて二人の子も西郷本家へ引き取られた。
・吉之助は明治維新の立役者の一人として歴史に名を残した。
・愛加那は、この家でひっそりと暮らし、ひたすら夫と子らに会う日を待った。
・明治35年(1902)8月、大雨の中を畑仕事に行き、そこで倒れた。享年66歳。

⇒こちらの記事に詳しく書かれていました。

 

島流しにあった西郷吉之助に、愛と生きる喜びを教え、2人は結婚することになったのです。

愛加那と西郷隆盛の間には、2人の子供ができました。

長男が『菊次郎』です。

 

二人目の子供は女の子『菊草(菊子)』です。

 

愛加那は、西郷隆盛にとても愛されていたと伝えられています。

 

愛加那キャストの二階堂ふみさん

その『愛加那』のキャストとして選ばれたのが女優の二階堂ふみさん。

奄美大島にも近い、沖縄出身の二階堂ふみさんなのです。本当の『愛加那』に似ている部分もあるのかもしれませんね^^

 

西郷吉之助役の主演『鈴木亮平さん』は、愛加那を演じた二階堂ふみさんをこう語られています。

「二階堂ふみさんも愛加那のように感性の塊のような人です。また、役とストイックに向き合う二階堂ふみさんの姿勢にも刺激を受け、途中から僕が彼女の芝居に染まることこそが、吉之助が島に染まっていく過程とリンクするのだと思えてきました。」

⇒「西郷どん」ガイドブック完全読本 続より

 

 

愛加那と西郷吉之助の結婚

安政6年(1859年)、死に損なった西郷吉之助は失意に沈みながら奄美大島へと旅立ちました。

当時の奄美大島は貴重な砂糖の産地であり、薩摩藩は圧政をしいて過酷な搾取をしていました。

それを見た吉之助は心を痛め、いばりちらす代官(役人)をこらしめて島民たちを助けたのです。

 

吉之助の人柄に島民たちもしだいに親近し、まもなく愛加那を島妻として結婚しました。

吉之助は愛加那の一途な愛によって、流人の傷心や孤独をなぐさめられました。

やがて2人は

長男:菊次郎

長女:菊草(菊子)

が生まれます。

 

愛加那の子供は西郷家に引き取られる

西郷吉之助が薩摩に帰っていった後、愛加那と子供たちはどうなったのか?

当時の薩摩藩の規定では、島で妻を娶ることはできましたが、その島妻を本土(鹿児島本土)へ連れてくることは禁じられていたのです。

 

明治時代に入り、愛加那と吉之助の子供2人は、鹿児島の西郷家に引き取られました。

 

息子『菊次郎』のその後

菊次郎は西南の役に従軍して傷を負い、永田熊吉に背負われて政府軍の西郷従道のもとへ投降して命を救われました。

その後は外交官をへて、のちに京都市長などを歴任します。

 

娘『菊草』のその後

西郷隆盛と愛加那の娘である『菊草(菊子)』は

西郷のいとこで陸軍大将の大山巌の弟『誠之介』と結婚しました。

 

愛加那と西郷の結婚生活とは?

愛加那は西郷隆盛(菊池源吾)が奄美大島に来てから10ヶ月後の安政6年(1859年)11月8日に結婚しました。

翌年に長男の『菊次郎』が、その後 長女の『菊草』が生まれました。

西郷隆盛一家は龍家の離れに暮らし、そこで2年8ヶ月生活していました。

西郷隆盛は離れではなく自力で新居を建てる計画をし、自分で土地を選び、設計までして新居を建てたのです。

1861年に完成しています。

しかし、その直後に薩摩藩から帰ってくるよう命令が届き、2ヶ月後に西郷は妻子を置いて奄美大島を去りました。

 

妻子に残した西郷隆盛の愛情とは?

西郷は薩摩藩に帰還する前に、奄美大島に残る愛加那や子供たちが生活に困らないように、自分で建てた新居の近くに1反ほどの広さの畑を買い、芋や野菜を収穫できるようにしました。

 

西郷の徳之島送りを聞いて喜んだ愛加那は

西郷隆盛は、愛加那と過ごした奄美大島生活から薩摩へ帰還し、その半年後に久光の怒りをかい、再び島流しにされます。

西郷隆盛の徳之島送りを愛加那は喜びました。

愛加那は1歳の菊次郎と、生まれたばかりの菊草(娘)を連れて徳之島へ。

西郷隆盛と再開しました。

しかし、再開した翌日にまたも島津久光から「徳之島では近すぎるから沖永良部島へ行け!」と命令書が来たのです。

 

泣く泣く愛加那は子供を連れて奄美大島へ帰り、西郷隆盛と離れ離れに・・・

そして子供たちは西郷家に引き取られます。

 

愛加那のその後は・・・

沖永良部島での過酷な牢獄生活からようやく解かれた西郷隆盛は、薩摩へ帰る途中に奄美大島へ立ち寄ります。

新居で妻の愛加那や子どもたちと久々の4日間を過ごしました。

この4日間が愛加那と西郷が過ごした最期のときです。

1人奄美大島で暮らす愛加那は、菊次郎と菊草の成長だけを望みに、大島紬を織りながら年を重ねていきました。

明治35年(1902年)愛加那は西郷が残した畑で、農作業中に倒れ、そのまま帰らぬ人になりました。

享年65歳でした。

 

 

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