亀山社中とは簡単にわかりやすく解説!
現在どの場所に記念館がある?
亀山社中とは日本初の会社?わかりやすく説明
亀山社中とは、坂本龍馬が中心の幕末の志士たちと作った貿易会社です。

長崎の亀山という場所で作ったので、この名前になりました。
社中という言葉は、組合・結社などの意味です。
表向きは、貿易会社ですが、武器を扱うことが多く、倒幕のための政治集団の意味合いも強かったようです。
最初は、1865年(慶応1年)に廃止された海軍訓練所の卒業生の中の坂本龍馬を中心とした20名余りで、薩摩の武器を買い付けに行って、薩摩藩に面倒を見てもらいました。
小松帯刀が、長崎まで付き合ってくれて、そこで仕事を始めるようになりました。


その後商人である小曾根家などの協力もあって武器・艦船などの輸入を仲介するようになって海運業や航海術などの力を高めて、のちに海援隊と名乗ります。
亀山社中が日本で初めての会社だと言う説があります。
商法的には、岩崎弥太郎の作った日本郵船が最初です。

いろいろな法律をひっくるめると、渋沢栄一の作った第一国立銀行という説もあります。

ただ、亀山社中は、会社の起源であると言われていて、日本郵船を作った岩崎弥太郎は、龍馬との関係も深く、亀山社中の経理を担当していました。
龍馬とは、上司と部下の関係になりますが、龍馬の性格からすると、もっと気楽な仲間って感じだったでしょうね。

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亀山社中の現在の場所は?
会社としては残念ながら残っていないのですが、
亀山社中資料展示場というのが長崎県にあります。

(画像引用:http://tomocchi.nagasaki-tabinet.com/post-1158/)
住所:長崎県長崎市伊良林2丁目7−24
現在の場所はこちらです。
亀山社中資料展示場の料金やクチコミは?

実は亀山社中記念館というのもあったのですが、こちらは平成18年に閉館、龍馬や幕末を愛する人達の手で、この展示場が保たれています。
入館時間は『9時から5時(17時)まで』です、ホワイト企業って感じですね。
記念館の入場料金は、無料ですが、建物維持などの為に募金箱があるようです。
こういうところからも、坂本龍馬のおおらかな「払える人が払えばいい」と言った思いを感じます。
駐車場はないので、出来るだけ公共交通機関、または有料駐車場などを探して迷惑の掛からないように行ってほしいです。
行った人の口コミの中に、龍馬のお姉さんについて書かれたものがありました。
坂本龍馬を育てたお姉さんは、有名な「乙女」ですが。




資料の数を多いと感じる人、少ないと感じる人、お土産売り場みたいな商業的な所という意見いろいろ・・・です。
