薩長同盟とは簡単にわかりやすく解説します♪
西郷どん32話では、あの歴史的に有名な坂本龍馬が行った『薩長同盟』のシーンがありました。
しかし
実際の真相はどうだったのか?
『薩長同盟』を簡単にわかりやすく解説してみました!

薩長同盟とは?簡単にわかりやすく解説!

いがみ合っていた薩摩と長州が力を合わせて、日本をよくするために手を握った事を言います。
この時代、ペリーの乗った黒船が来たり、日本もなんだか弱体化してきていました。
さらに、
当時治めていた徳川の江戸幕府に対してムカついている藩も増えて来て、江戸幕府を守ろうとした新選組とか、会津とかに対して、倒幕を考えていたのが、薩摩藩や長州藩。
実際の真相は!
薩摩(鹿児島)や長州(山口)だけじゃなくて、土佐(高知)、会津(福島)その他いろんな地域が参加しているんだけど、目立っていたのが名前を出したところ。
薩摩と長州は、その中でも幕府軍からにらまれていて、今は、長州が幕府に目の敵にされているけど、長州が倒されたら、次は薩摩に来るって言うのもありました。
だけど、長州って武器も味方もいないくせに、江戸幕府から「話し合いにでてこい」って言われているのにバカにしてダラダラやっていて、
そろそろ長州ヤバいかもって時期に、坂本龍馬や中岡慎太郎が出て来て、そんなピンチ状態だった長州と薩摩との間を取り持ってくれました。
第32回「#薩長同盟」本日放送!!
長州再征伐の勅命が下されるなか、恐るべき行動に出る一蔵。
吉之助も再び奮い立ち、龍馬に対して“ある交渉”に出る。
薩摩への不信感に満ちた長州の桂の心は、いかに動くのか…!?BSプレミアム:午後6:00〜
総合テレビ:午後8:00〜https://t.co/g44h5b28WI pic.twitter.com/7iGO3wZnSV— 大河ドラマ「西郷どん」 (@nhk_segodon) 2018年8月26日
当時、薩摩は凶作で食べるものに困っていて、
長州から米を買い、
薩摩からは相手を倒すのに強力な武器を売る、
という商業的な取引をします。

坂本龍馬は凄腕の商談マンだったんでしょうね^^
薩摩の代表『島津久光』(息子忠義に代替わりしていたけど、権力のあるのはこっち)は、西郷隆盛が嫌いだったんで、この薩長同盟を聞いたときに最初はよく思いませんでしたが・・・
家老の小松帯刀のことはとっても信頼していたので、「小松がいるのなら、任せるよ」って感じで、無事に薩長同盟は結ばれました。
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薩長同盟をやった場所はどこ?
\フォトギャラリー公開!/
第32回「#薩長同盟」を写真でプレイバック!
あのシーンの余韻、味わいもんそ。#大河ドラマ #西郷どんhttps://t.co/SSF9utpFRo pic.twitter.com/sppHlFjEe5— 大河ドラマ「西郷どん」 (@nhk_segodon) 2018年8月26日
薩長同盟が結ばれたのは、
慶応2年1月21日(1866年3月7日)に小松帯刀邸(京都市上京区)で締結とあります。
薩長同盟とは、で書いたように西郷隆盛は薩摩の偉い人(島津久光)に、イマイチ・・・ウケが悪かったので、小松久光に絶対的な信頼を置かれていた小松帯刀の御花畑御屋敷で、結ばれました。
現在は、ここは御花畑御屋敷跡って書いた記念碑が立っているだけの場所なんだけど、場所が判明して、2017年3月に新しく建てられたそうです。

慶応2年1月21日(1866年3月7日)に近衛家別邸・御花畑屋敷で締結されました。
現在の場所はこちらになります。
住所:京都府京都市上京区室町通鞍馬口下ル森之木町462

薩長同盟の長州藩代表だった人物真相は?

薩長同盟に参加した人物は主にこの4名が真相です。
薩摩藩:小松帯刀、西郷隆盛
長州藩:桂小五郎
元土佐藩士:坂本龍馬
薩摩藩の当時の代表は島津忠義(藩主)だったように、長州にもちゃんと藩主がいます。
長州藩主の毛利敬親の頃です。
長州藩は、萩市に置かれていたことから、萩藩とも呼ばれていました。
毛利敬親は、下級武士の子だった高杉晋作や、吉田松陰の才能を身分とか、関係なく認めてくれた人で、幕末の志士から、とても愛された人です。
長州藩の志士たちが、言う事を信頼して「そうせい」(そうしなさい)とうるさい口出しをしなかったことから、「そうせい侯」【候(こう)とは大名の事】と呼ばれていました。

「薩長同盟の長州藩代表者の真相は?」
「薩長同盟に参加していた人物は誰(どこの藩)だったのか?」
についてまとめています^^