西郷隆盛の性格や逸話がすばらしい!敬天愛人の思想

西郷隆盛の性格や逸話に心惹かれる!

西郷隆盛という歴史的に有名な人は『西郷どん』と呼ばれ地元鹿児島でもずっと親しまれてきました。

なほこ
また、西郷隆盛についての本『南洲翁遺訓』にもある敬天愛人の思想は感銘をうけるものです。

 

今回は、そんな西郷隆盛に関する逸話から、西郷隆盛の実際の性格について伝えられていることをまとめてみました。

 

西郷隆盛の逸話と性格まとめ

現在も多く成功者が座右の銘に掲げる
『敬天愛人』
一読する価値ありますね!

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西郷隆盛さんの思想のエッセンスが凝縮されている本として有名です。
哲学として、また人間のあるべき姿を示すものとして教えられることが多く、多くの著名人が座右にもっている本です。

 

西郷隆盛の精神をあらわすエピソード

 

なほこ
西郷隆盛の人となりをあらわすエピソードがあります!!

 

ある日、西郷隆盛は宮中であった宴会から退出するとき外は雨が降っていた。

西郷さんは宮中に参内するときもいつもどおり薩摩がすりの平服であった。

その日もかすりを着て下駄履きで宴会にでていた。

退出するときに入り口で脱いだ下駄が見当たらない。

しかし、そのことで人に迷惑をかけたくなかった西郷さんは、そのまま裸足で雨の中を歩き出し、皇居の門に差し掛かったところで門衛に呼び止められた。

 

「自分は西郷だ」と言ったが、門衛はかすり姿で裸足の人物が よもや政府の高官だとは思わないから門を通さなかった。

 

西郷さんは雨の中に立ち尽くしたまま、誰か自分を知るものが来るのを待った。

やがて、岩倉具視を乗せた馬車が通りかかって、ようやく帰宅することができたという。

 

このエピソードは内村鑑三の名著
『代表的日本人』で紹介されています。
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西郷隆盛さんが寡欲な人、私的にはほとんど無欲に近い人だったということがが如実にあらわれているエピソードですね。

 

西郷隆盛と犬

狩猟で山野を駆けめぐるのは肥満の治療にもなるので晩年まで最も好んだ趣味でもあった。

西南戦争の最中でも行っていたほどであり、その傾倒ぶりが推察される。

したがって猟犬を非常に大切にした。東京に住んでいた時分は自宅に犬を数十頭飼育し、家の中は荒れ放題だったという。

 

西郷隆盛と坂本龍馬

坂本龍馬を鹿児島の自宅に招いた際、自宅は雨洩りがしていた。

夫人の糸子が「お客様が来られると面目が立ちません。雨漏りしないように屋根を修理してほしい」と言ったところ、西郷は「今は日本中の家が雨漏りしている。我が家だけではない」と叱ったため、隣室で休んでいた龍馬は感心したという。

 

西郷隆盛と女・愛人

青年、壮年期においては妻のほか愛人を囲うなど享楽的な側面も見せた。

祇園の芸妓だった君尾の回想をまとめた『維新侠艶録』や勝海舟の『氷川清話』によると、肥満の女性が好みで、そのエピソードは歌舞伎の演目『西郷と豚姫』でも今に伝わっている。

しかし、晩年は禁欲的な態度に徹した。

 

西郷隆盛の食べ物の好物

郷土の名物、黒豚の肉が大好物だったが、特に好んでいたのが今風でいう肉入り野菜炒めと豚骨と呼ばれる鹿児島の郷土料理であったことが、愛加那の子孫によって『鹿児島の郷土料理』という書籍に載せられている。

 

 

西郷隆盛の眉毛

1952年収録された子孫の岩山トクさんの証言テープがある。

「(西郷は)キセルで右まゆげや右の生え際に当てて世の中のことを考えていた。」

だから熱いキセルでまゆげがこげてなくなっていた。

 

島津斉彬は西郷隆盛をこう称賛していた

 

松平春嶽はこう言っています。

「私の家来は大勢いるが、薩摩の島津斉彬と面談するときは役に立つ者など1人もいない。

その点、薩摩は西郷だけが貴重な宝物である。

そのことで島津斉彬はこう申したことがあった。

(島津斉彬談)『西郷には独立の気概があるので、私以外にはうまく使いこなせないだろう』と」

なほこ
まさしく、斉彬は西郷の凄さを理解し、上手に使っていたけど、久光は使いこなせなかったですもんね。

 

西郷隆盛は無口だった

秋月種樹より

「南洲(西郷隆盛)は無駄口を叩かないので、相手は警戒したが、その人となりを知ると胸襟を開いた。」

「南洲は口も堅く、話し合ったことは他言しなかった。」

 

西郷隆盛はずっと質素な暮らしをした

明治維新政府の頂点に立った西郷隆盛だったが
大きな邸宅を構えず、粗末な服装をし、非常に清貧な生活をした。

新生日本の指導者はかくあるべきと、自ら表現していたのだ。

  • 名誉欲
  • 生命欲
  • 金銭欲

といった世俗の欲からすっかり解脱した人間で、それが人間としての理想の極致と考えた。

 

 

一方、大久保利通や伊藤博文は豪邸に住み、贅沢な食事をしていたという。

 

西郷隆盛の器の大きさと傾聴

 

薩摩と長州はずっと敵対関係にあった。

長州藩の代表となった木戸孝允が、初めて薩摩の西郷隆盛と会った時の話。。。

木戸孝允はずっと薩摩へ不平不満や不信感があったので、西郷隆盛にこれまでのことを全部ぶちまけた!

すると西郷隆盛は初めから終わりまで静かに聞いており『いかにも、ごもっともでございます』と言ったそうです。

傾聴ができる。

これが西郷隆盛が多くの人に慕われた理由かもしれません。

 

 

酔えば裸踊りもした

西郷隆盛=堅物

というイメージを払拭するようなエピソードも。

京の祇園の芸姑(君尾)の話

西郷隆盛さんは大酒豪で、酔えば甚句(民謡の一種)を踊りだす。

島原の角屋のお座敷では、酔ったいきおいで最高位の遊女である『太夫(たゆう)』の帯をとり、ふんどし代わりにして、素っ裸で甚句踊りをすることもあったので、芸者や仲居たちは西郷隆盛が立派な人だとは思わなかったということ。

なほこ
もしかしたら、これは西郷隆盛の交渉術・コミュニケーション術だったのかもしれませんね

まとめ

西郷隆盛という人は

  1. 謙虚
  2. 質素
  3. 無私
  4. 寡黙
  5. 至誠

そして敬天

多くの人がその思想をバックボーンとして掲げています。

 

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なほこ

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