西郷隆盛が沖永良部島にいた期間は?島民へ何を与えたのか!
イメージではふくよかな西郷隆盛さんが、こんなにガリガリに痩せてしまったのが沖永良部島に島流しになったときです。
実際の真相として、西郷隆盛が沖永良部島に島流しになっていた期間はどれくらいだったのか?
大河ドラマの西郷どんでは、その罪人として沖永良部島に行っていた辛く厳しいシーンが、24話~25話で放送されました。

西郷隆盛が36歳のときに2回目の島流しにあいます。
1回目の島流し先の『奄美大島』にいた期間は3年間。
では、厳しい島流しだった『沖永良部島』にいた期間は・・・
1年6ヶ月間でした。
こちらの記事で、西郷隆盛が沖永良部島に行っていた期間をまとめています。
西郷隆盛の沖永良部島での罪人牢獄生活
西郷隆盛は沖永良部島で過酷な環境の牢獄生活を強いられました。
のちに西郷は、役人の土持政照に救われ、座敷牢に移されます。
現在の『西郷南洲記念館』では、西郷隆盛が沖永良部島にいた約1年半の期間の生活を展示して紹介されています。
西郷隆盛の牢内にトイレはあった?

これって気になりませんでしたか?(笑)
私も気になってたんですが、Yahoo知恵袋にも質問されてたりして、トイレあるのかな~?って思う人もいますよね?w
実は牢獄にトイレあったんです。
吹きさらしの狭い牢内に
- 便所(トイレ)
- 小炉
- 板屏風(いたびょうぶ)
があるだけだったということ。
牢獄生活で悟った『敬天愛人』
現在も多くのリーダーが「最も尊敬する人物」として挙げる西郷隆盛の考えを知ることができる『南洲翁遺訓』。
尊敬の念を深め、荘内藩有志によってまとめられた『南洲翁遺訓』は、著書を残さなかった西郷隆盛、唯一の「著書」ともいえる。
天を敬い、人を愛した西郷が残した珠玉のことばは、混迷の時代のいまこそ読んでおきたい。
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西郷隆盛と沖永良部島での生活はこの本で学ぼう
西郷隆盛は沖永良部島で牢獄生活をしていましたが、土持政照の屋敷牢に移ってからは体も元気になりました。
牢獄でも常に姿勢をただして読書にふけったり、島の子供たちを牢の外に集めて学問を教えたりしました。
また、凶作に備えて島民たちに社倉法(しゃそうほう)という飢饉に備えて穀物を貯蔵する方法を伝授したといわれています。
そんな西郷隆盛の沖永良部島での功績をたたえて『南洲神社』が建てられました。

「実際に西郷隆盛が沖永良部島に行っていた期間は何年?」
という疑問をもった方が多かったようです。