生麦事件とはわかりやすく説明!場所はどこで?島津久光とイギリス人と薩英戦争
西郷どんの25話で起こるのが『生麦事件』です。

今回の記事では、薩摩藩が関係する歴史的な『生麦事件』についてわかりやすく紹介します!
目次
生麦事件をわかりやすく解説します
これは実際に現在の中学1年生の社会の教科書です。
生麦事件について、こう書かれています。

生麦事件とは
薩摩藩士が、横浜近郊の生麦村(神奈川県横浜市)で、行列を横切ったイギリス人商人を殺害しました。
生麦事件のその後
生麦事件の報復のため起こった薩英戦争で、鹿児島はイギリス艦隊に攻撃され敗北します。
近代化の必要性をその時痛感した西郷隆盛や大久保利通は、その後薩摩の実権をにぎり、イギリスに接近して軍備を強化しました。
生麦事件をもっと詳しく解説
時期:1862年(文久2年)8月21日
行列の大将:薩摩藩の国父『島津久光』
斬りつけた薩摩藩士:奈良原喜左衛門
亡くなったイギリス人:リチャードソン(英国商人)
場所:武蔵国生麦村(神奈川県横浜市)
島津久光はなぜ生麦村にいた?
久光は『公武合体策』を実現するために江戸に出ていて、その帰り道、生麦村を通っていた。
どんな事件だっのか?

島津久光が率いる大名行列が江戸から薩摩への帰路、生麦村を通っていた時、行列を馬に乗ったまま横切ったイギリス人一行(4人)がいた。
奈良原喜左衛門は、そのイギリス人(リチャードソンら)4人を斬りつけたのです!
リチャードソンは絶命。
その他に2名のイギリス人も重症。

生麦事件で亡くなったイギリス人リチャードソンとは?
項目 | 内容 |
---|---|
国籍 | イギリス |
本名 | チャールズ・レノックス・リチャードソン |
職業 | 商人 |
仕事内容 | 中国の上海で財をなしイギリスに帰る途中だった |
来日していた理由 | 日本を観光 |
生麦村を通過理由 | 川崎大師へ向かう途中だった |
イギリスが怒る!
イギリスは幕府と薩摩藩に対し、斬りつけた犯人の引き渡しと賠償金を要求しました。
幕府の松平春嶽らはイギリスに賠償金を支払いましたが・・・
薩摩藩は拒否しました。
生麦事件は薩英戦争につながった!
1863年(文久3年)薩摩藩とイギリスは戦争になりました。
世界に誇るイギリスの軍艦に薩摩藩(鹿児島)は攻撃されます。

薩摩藩はイギリスに負け、和解交渉を行いました。
開国路線へ方向転換するきっかけとなった
大敗北し、近代化の必要性を痛感した西郷隆盛や大久保利通。
『尊皇攘夷』の無意味さに気付き、『開国路線』に方向転換しました。
これが明治維新の一因になったとされます。
薩摩の西郷たちは、イギリスに接触して軍備を強化しました。
生麦事件の起こった横浜の場所は?
場所はこちらです。
住所:神奈川県横浜市鶴見区生麦1丁目16
