西郷隆盛の一人娘である『菊草』
西郷どんでは24話で初めて登場します。
愛加那が徳之島に送られた西郷吉之助を追いかけて、子供の菊次郎と産まれたばかりの娘『菊草』を連れて来たのです。
今回の記事では、
西郷隆盛の子供の中で、唯一の娘になる『菊草』についてまとめてみました。
西郷隆盛の娘の手遊び歌が有名!
昭和中期から流行った手合わせ遊び(わらべ歌)に『一かけニかけて』という歌があります。
それは、西郷隆盛の娘(菊草)が歌詞に登場する歌なのです。
歌詞の一部に
「私は九州 鹿児島の
西郷隆盛の娘です。」
とあります。
さらに
「明治十年 戦没に
討ち死にされた父上の
お墓参りにまいります。」
と歌われます。
こちらです。
このわらべ歌には、西郷隆盛と娘『菊草』の切ない物語が歌われていたのです。
西郷隆盛の娘『菊草』の生涯・画像
菊草(きくくさ)
1862年~1909年
菊草の画像がありました!!
菊草(菊子と呼ばれる)
菊草は西郷隆盛の子供の中で、唯一の娘なのです!
父の西郷隆盛が鹿児島へ帰ったあと、子供たちも西郷家に引き取られました。
菊草は12歳から母の愛加那と離れて西郷家へ行きます。
西郷家に行ったときから名前を『菊子』と変えたようです。
菊草(菊子)は、大山巌の弟である
大山誠之助と結婚し、大山菊子と名前を変えました。
しかし
夫の大山誠之助は金銭にだらしがなく、兄の大山巌の名声を利用して借金をかさねなどしていたため、大山邸は売却されました。
また、夫の家庭内暴力もあったと言われています。
その後、夫とは別居。
子供と共に京都市長をしていた実の兄『西郷菊次郎』宅で一緒に暮らしました。

奄美大島の母 愛加那のところには一度もたずねていません。
1909(明治42)年、菊次郎宅で享年48歳の若さで死去しました。
菊草の子供(子孫)は?
菊草は大山誠之助との間に4人の子供がいました。
名前は
- 米子
- 慶吉
- 綱吉
- 冬子
です。
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