西郷隆盛の子供で奄美大島の菊次郎と菊草の生涯は?画像あり
父は西郷隆盛
母は愛加那
奄美大島に島流しになった西郷吉之助(菊池源吾)が結婚した愛加那との間に生まれた2人の子供が
息子の『菊次郎』
娘の『菊草』
です。

西郷隆盛の子供で奄美大島出身は2人
第21回「別れの唄」本日放送!!
島に来て2年。吉之助と愛加那は愛する子を授かる。
そんな時、薩摩からの召還命令を伝えるべく一蔵がやってきた。
揺れ動くふたりの心は、どんな答えを出す…!?BSプレミアム:午後6:00~
総合テレビ:午後8:00~https://t.co/Eccv6WFpeF pic.twitter.com/D6s83E2aWZ— 大河ドラマ「西郷どん」 (@nhk_segodon) 2018年6月3日
西郷どんの18話から奄美大島が舞台に。
薩摩藩は生き残った西郷隆盛を菊池源吾という仮名にして島流しされたのです。
1859年(安政6年)1月から
奄美大島の実力者である龍家(りゅうや)の世話になっていました。
その時に身の回りの世話をしてくれた23歳の美しい島娘『とぅま』(のちに愛加那)と結婚し、2人の子をもうけています。
31歳だった西郷。
西郷隆盛の子供『菊次郎』の生涯
こちらが西郷隆盛にはじめて誕生した息子の『菊次郎』です。
画像
1860年に誕生しています。
父の西郷隆盛が鹿児島へ帰ったあと、子供たちも西郷家に引き取られました。
2人は時間差がありました。
菊次郎は8歳から母の愛加那と離れて西郷家へ行きます。
鹿児島の英語学校で学んだあと、アメリカへ留学しました。
17歳の時、西南の役で父の西郷隆盛にしたがって戦い、その時に右足を撃たれて失います。
熊吉の助けにより叔父である西郷従道に投降して命が助かりました。
右足はその後 義足を使用。
西郷隆盛の娘『菊草』の生涯・画像
菊草の画像がありました!!
菊草(菊子との呼ばれる)
菊草は西郷隆盛の子供の中で、唯一の娘なのです!
父の西郷隆盛が鹿児島へ帰ったあと、子供たちも西郷家に引き取られました。
2人は時間差がありました。
菊草は12歳から母の愛加那と離れて西郷家へ行きます。
西郷家に行ったときから名前を『菊子』と変えたようです。
菊草(菊子)は、大山誠之助と結婚し、大山菊子と名前を変えました。
しかし
夫の大山誠之助は金銭にだらしがなく、兄の大山巌の名声を利用して借金をかさねなどしていたため、大山邸は売却されました。
その後、夫とは別居。
2人の子供と共に京都の西郷菊次郎宅で一緒に暮らしました。
奄美大島の母 愛加那のところには一度もたずねていません。
1909(明治42)年、菊次郎宅で享年48歳の若さで死去しました。
西郷隆盛の奄美大島の妻『愛加那』の生涯
西郷隆盛は結婚した島妻『とぅま』に
『愛加那』という名前をつけました。
加那(かな)⇒娘
奄美大島では、結婚すると『加那』に名前を付け足したものを名乗るようになっていました。
西郷が付けたのは『愛』
『愛』は西郷隆盛の座右の銘
敬天愛人
の『愛』でもあります。
こちらの本『南洲翁遺訓』は多くの人の指針書にされるほどの西郷隆盛の代表的な著書です。
⇒〈新訳〉南洲翁遺訓 西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え [ 西郷隆盛 ]
愛加那は目鼻立ちのはっきりした割と大柄な女性でしたが、太っていたわけではありません。
愛加那の画像
奄美大島の言い伝えでは、
あの西郷さんが人前でも愛加那といちゃついたりしていたり
時には派手な喧嘩をしたり
していたそうです。
とても愛加那を愛していたと言われています。
こちらの記事でまとめていますので御覧ください。