西郷隆盛が好んだ料理を子孫(ひ孫)や犬や鹿児島から知れた!

2018年1月3日(水) 19時30分~20時45分 にNHKで放送された『美食倶楽部へようこそ 西郷どんの正月料理』

2018年の大河ドラマは「西郷どん」。

明治維新の英雄はいかにしてつくられたのか?西郷の真実に食から迫る。大志を育んだ薩摩の郷土料理、島津家の正月料理、西郷が覚悟を決めたときの勝負めし…西郷ゆかりの料理や絶品グルメを求め鹿児島へ。西郷の人生を象徴する一皿を番組オリジナルで創作。西郷どん好きのゲストが集い、彼が愛した味を堪能しながら、人間西郷を大いに語り尽くす

番組では『西郷どん亭』と名付けられた料亭で西郷隆盛の魅力を、西郷隆盛を育んだ料理で紐解く。

 

西郷隆盛の食べた料理とは?NHK西郷どんの正月料理

司会はバカリズム。

ゲストは4名。

松坂慶子(西郷隆盛の母役)

塚地武雅(西郷の使用人の熊吉)

武田鉄矢

小芝風花

鹿児島の旅人は俳優 堀田新太

この番組では

「殿様の正月料理はどうだったのか?」

「江戸城無血開城の舞台裏にあった料理とは?」

西郷隆盛が愛した料理とは。

松坂慶子「西郷隆盛は男女の別なく愛された人という印象。」
塚地「丸っこくて限りなく大きい。僕のような人w」

武田鉄矢「18歳の時から坂本龍馬が大好き。坂本龍馬の生まれ変わりは、加山雄三さんに出会った時に感じた。俺の海って歌います?w 西郷隆盛の生まれ変わりはと言われたら、高倉健さんだと思った。」

 

西郷隆盛の体格の良さは料理にあった!

平均身長が155センチの時代に178センチも身長があった。体重は110kg。

体格が大きかった理由は、江戸時代に食べることをタブー視されていた料理を食べていたからだった。

軍服がある。

薩摩のある郷土料理がでっかい体格を作った。その料理は『

鹿児島といえば桜島。

村田新八を演じる俳優 堀井新太が鹿児島を探索する。

さつまいも
芋焼酎
が鹿児島といえば有名。

西郷隆盛のひ孫『西郷隆文』さん
陶芸家です。厚生労働省選出の現代の名工にも選出された方。

西郷隆盛の子孫(ひ孫)である『西郷隆文』さんいわく

西郷隆盛は
安心安全な人
太陽のような人
だという。

また西郷家に伝わる味は『とんこつ』だった。
それは豚とんこつの身をじっくり煮込んでつくる料理。

西郷隆盛が大変好んだ料理が『味噌仕立てのとんこつ料理』

豚とんこつ
芋焼酎
黒砂糖
薩摩の麦味噌

鍋に自家に豚豚骨を入れる
焦げ目がついたら焼酎を入れる
水を入れる
沸騰したら黒砂糖
麦味噌をたっぷり入れる
あとはじっくり煮込む
2日間くらい煮込む

色が変わって醤油を入れたような色になっていた。
骨から身がほぐれ落ちるほど煮込んである。

「うまい」
「黒糖の甘みと、味噌のしょっぱさが絶妙」

西郷隆盛は下級藩士だった。貧しい中でこのとんこつ料理はごちそうだった。
薩摩では人が集まればこの豚骨料理を食べた。

薩摩藩邸は豚が飼育されていた。

豚は徳川慶喜に送ったりもされた。

西郷どん懐石 1品目『味噌仕立ての豚骨』

江戸時代は豚肉を食べるのはタブー視されていた。

西郷先生は豚を好まれ、骨をすすりて食べられた。
自分で狩りをしてうさぎやイノシシを獲って食べていた。
西郷さんの犬は猟犬だった。

武田鉄矢「『師』が西郷隆盛さんにぴったりだな~と思って。左が肉、右がナイフという意味。肉を分けてくれる人の意味が『師』」

下級藩士だった西郷隆盛さんが日本を変える人になったのは、ある正月料理が関係していました。

18歳のときに藩に務める。年貢を管理する役に。不正を

薩摩藩主 島津斉彬が西郷に目をつけました。

ペリー来航。
島津斉彬の密命を受け働くことに。

斉彬は軍備を強化します。
薩摩切子は藩の財政を豊かにします。

影響を与えました。

正月に斉彬が7西郷隆盛らに振る舞った料理が『クマエビの焼海老料理』
薩摩を代表する料理。

出水市でクマエビ漁が行われている。
堀田新太さんが漁へ。

伝統的な帆掛け舟で行われる。
海底に潜っているクマエビを採る。

乾燥させ干したクマエビができあがる。
それを雑煮の出しに使う。
島津家の別邸あとにある『仙巌園』
そこで島津家の料理が味わえる。

島津斉彬「西郷一人は我が薩摩において貴重な宝である。」

西郷隆盛
京都に赴いていた。
斉彬急死。弟が藩の実権を握るように。
生きる希望を失った西郷隆盛。

海に飛び込みましたが一命をとりとめました。
幕府に睨まれ、奄美黄島に身を寄せます。

そこで鶏飯に出会います。
現在の鶏飯は
パパイアの漬物がのっています。
鶏ガラスープをかけて食べます。

しまうり
ごぼう

鶏がらスープで炊いた炊き込みご飯が元祖鶏飯です。
元々はおもてなしをするのが好きな奄美黄島の人たちだった。

珍しい魚も食べていたという。
『アバス』=『ハリセンボン』を奄美黄島ではよく食べられます。

アバスの唐揚げ
身がしっかりしている。

大老 井伊直弼が暗殺された。
難局に対応できるのは西郷隆盛しかおらず、呼び戻されますが島津久光(島津斉彬の弟)と気が合わず『沖永良部島』に流されます。

屋根もない牢獄の中で麦飯しか食べられなかった。
きっと死に方を考えたと思われます。
そして西郷隆盛はやせ細りました。

そんな西郷を見かねた島民が土持が

家の中(座敷の中に)に牢獄を作ったのです。
人の情けに生かされたことを知った西郷隆盛は『敬天愛人』を

『天は人も自分も同一に愛してくれる
だから自分を愛するように人を愛する』

江戸城無血開城

江戸前寿司が舞台裏で活用されたのです。

西郷隆盛は犬猿の仲だった長州藩と仲を結びました。
勝海舟は江戸の薩摩藩邸で会談。
江戸市中を眺めました。
江戸の街を戦火で
江戸総攻撃を中止にいたす。

くま吉の衝撃

陣中見舞いだと言って勝海舟が出したのが『江戸前寿司』だったのです。

老舗料理店 四代目 橋本敬さん

西郷さんが屋台に来たんだよと

『赤ベロベロしょっぱづけ』という料理が好きだった。
江戸落語の中に、薩摩の人を馬鹿にする時に使った言葉。
それはマグロを醤油漬けにしたお寿司だったのです。

赤ベロベロ=舌
一番お肉ぽいのはマグロだったのかもしれない。

2002年西郷隆盛の孫から達筆な手紙が届いた。
「祖父(西郷隆盛)がくず餅を好物としておりましたことを父から聞いておりました」
船橋屋 亀江戸天神社の境内で売られていた。
東京都江東区亀戸にある。
くず餅は当時最先端のスイーツだった。

私財を投じて鹿児島に志學館を開きます。
西郷さんが慕って沢山の人が来た。
ちゃんと
村田さん
漁師の格好をした

人々は貧しいまま。
もしわけないという思いもあって、多くお店に置いていったのです。
明治政府に対して士族の不満が渦巻いていたのです。

西南戦争が始まり、西郷隆盛が総大将に。
圧倒的な兵力の差が有りました。
洞窟で最後の
5日間を過ごしました。
出陣の前に食べたのが鰻でした。

「なこかい とぼかい なくならひっとべ!」
という囃子唄が鹿児島にある。
そんな気風があったのかもしれない。

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